幼い頃の夢は、飛行機のパイロットになること。ただ、高校に入学した頃から視力や学力に不安を感じ、似たような仕事にも目を向けてみることにしました。その流れで航海士・船長という職業を知り、船乗りを養成する大学へと進学。仕事に直結する専門的な知識や技能を身につけました。第一中央汽船は、選考を受けたいくつかの海運会社の中の1社でした。でも、先輩社員からお話を聞くうち、ぜひここで働きたいと思える“特別な会社”になっていきました。お会いする方が皆、自分の仕事に誇りを持っていること。規模が大きくないから、任せてもらえるチャンスが多いこと。何より、大勢の学生の中の1人ではなく、私という人間を仲間に迎えたいという熱意を感じたことが、入社の決め手になりました。実は、航空会社のパイロット職にも応募していたのですが、二次面接は辞退し、同日に予定されていた当社の最終面接を選びました。この会社で航海士、そして船長になるという、新たな夢をつかみ取ることにしたのです。
2024年から船長の実務をスタートしました。甲板部は一等航海士が、機関部は機関長が管理し、船長の私はそれら業務を監督します。両方を見ることが、業務内容の面で一等航海士の頃から大きく変わったことです。他にも生活作業や物資作業、乗組員の教育・マネジメントなどにも気を配ります。船長になってからというもの、責任の大きさを日々感じています。一等航海士の頃も重要な意思決定に携わっていましたが、その重みは段違いです。航路の決定ひとつを取っても、本当にこっちを通っていいのかと逡巡します。荒天時には、本当にこの逃げ方でいいのかと自問せずにはいられません。もちろん判断には根拠があり、自信もあります。それでも、乗組員の命を守り、会社の資産である船を守り、お客様からお預かりした貨物を守る。その重責を思うと、局面によっては心中穏やかではいられないのです。
甲板部や機関部、司厨部全体で協力し合い、無事に一航海を終えることができたときは、安堵感と充実感を覚えます。船の最高責任者として役目を全うすることにやりがいを感じます。仕事の楽しさという点にフォーカスするなら、船長になってからより面白みが増したのは操船です。障害物を避けるときや入港するとき、アンカーを下ろすときなどは、操舵手に指示を出します。今乗っているケープサイズ船のような巨大船を意図した通りに動かし、スムーズに遂行できたときはうれしいですね。もちろん航海士のときも経験していたことですが、あくまで船長の指揮下での操船。今は自分がその立場なので、非常に大きなやりがいを感じます。船長の醍醐味ともいえます。
船長になるまでの14年間を振り返ると、本当に貴重な経験ばかりでした。入社3年目には、現在の海技教育機構に1年間出向し、練習船の士官として乗船。船務以外に教務があり、人へ教えることの難しさを学びました。誰かに教えるには、自分がまずしっかり理解していないと務まりません。そのうえで、一方通行にならないよう対話しながら教える必要があります。一人ひとりに合った伝え方を心がけた経験は、船長になった今も役に立っています。その後、船員課にて採用活動などに従事してから海上勤務に戻り、入社10年目には一等航海士として乗船。乗組員のケアなど船内全体のコーディネートにまで携わり、今につながる経験を積むことができました。その翌年には海務課にて、当社運航船の荷役アテンド、気象・海象のアドバイス、事故分析や検船、社船の外部インスペクションの受検対応などに従事。自社船のケープサイズバルカーが初めて新パナマ運河を通峡する際にはアテンドし、パナマ運河庁への訪問という一風変わった役目も担いました。こうして振り返ると、海上であれ陸上であれ、一つ一つの仕事に対して真剣に向き合い、しっかり準備することを大切にしてきたように思います。結果、少しずつでも着実に成長することができ、すべての経験が糧になっていることを実感しています。
入社時に思い描いていた「船長になる」という最終目標はクリアできましたが、まだまだ自分の目指す船長像には到達していません。ひと口に船長といっても、社内にはさまざまなタイプの船長がいます。分かりやすいのは、全部指示してパワフルに引っ張っていくタイプ。それも魅力的ですが、私のスタイルではありません。私が目指すのは、乗組員一人ひとりの判断や意見を尊重し、任せることのできる船長です。多少の失敗は引き受ける度量の大きい船長になりたいと考えています。そして、たくさんの成長機会を提供し、後輩たちを育てていきたいです。