第一中央汽船の歩み
第一中央汽船は、第一汽船と、中央汽船とが1960年(昭和35年)10月1日に合併して設立された会社ですが、この2社の歴史は古く、特に中央汽船の起源は、住友の別子鉱山時代に遡ることができます。
住友家は、江戸時代に別子銅山を開きました。その別子銅山では、傭船・自社船により自家の銅山関連物資や従業員の輸送を行っていました。
その後、山陽鉄道開通を機に尾道支店を開設し、1892年(明治25年)2月には、所有船「御代島丸」を新居浜/尾道航路に就航させ、自社分のみならず、第三者の貨客の運搬も含めた海運業を開始しました。(当社の創業)
別子銅山は、1876年に別子鉱山へと改名されました。その後、名称変更、合併等を経て、1937年に住友鉱業となります。1942年、この住友鉱業の船舶部が中心となり、13社が出資して中央汽船の前身である中央汽船運航を設立、そして、1946年に中央汽船と改称し、住友各社の事業拡大につれて住友系の主力海運会社として位置付けられました。
一方、第一汽船の起源は、創業者二人の出身地(会津と山陽)をとって命名された会陽汽船という船主会社であり、その設立は1933年になります。会陽汽船は、発足早々から1万重量トンクラスの当時の大型船を外航航路に就航させ、第二次世界大戦勃発による船舶の国家徴用など、苦しい時期を乗り越えながらも徐々に事業を拡げ、ファーストシッピング、第一汽船と改名、不定期船会社としての地位を確立していきました。
この歴史ある2社、すなわち不定期船会社である第一汽船と、住友系インダストリアルキャリアーとしての中央汽船は、1960年の合併以来、住友系唯一の外航・内航両輪を兼ね備えた不定期船会社として、わが国の産業発展を海上貨物輸送という根幹から支えながら、確かな実績を積み重ねてまいりました。
第一中央汽船は、これからもお客さまのニーズに応えながら安全・着実な海上輸送システムに磨きをかけ、さらに発展してまいります。